心理学、自己啓発、スピリチュアルについて、どのような印象を持っていますか?
心理学は、学問や知識。自己啓発は考え方のヒント。スピリチュアルは……引き寄せ…? 神? 宇宙? ちょっと怪しい……と思う人も多いかもしれません。
スピリチュアルがなんなのか?……、は、もう、スピリチュアルという言葉が多くの要素を含みすぎていて、一言では言い表せません。ですが、心理学と自己啓発とスピリチュアルは隣り合っています。
例えば、スピリチュアルでよく言われる「人は皆つながっている。もともとは一つだった」という世界観は、心理学でも同じようなことが「集合意識」として出てきます。自己啓発の本を読んでいてもフローに乗ることやシンクロニシティについて語られますが、それはスピリチュアルでも扱われる分野です。
前置きはこれくらいにしましょう。
ナイカンナでは、スピリチュアルを「人生をより素敵に生きるために知っておいた方が良い知識のひとつ」と位置付けています。
心理学も、自己啓発の分野で扱われる色々な法則、ライフハックなどの分野も同じです。「人生をより素敵に生きるために知っておいた方が良い知識」です。
3つとも自分に必要なものや役に立つものを知って、活用するためのもの。ただ、得意とする分野がそれぞれ少しずつ違っているのです。
心理学も自己啓発もスピリチュアルも、適切に使う分にはとても面白く、しかも為になるものです。ですから「スピリチュアルと聞くだけであやしい……」と思い、アレルギーのように嫌うのはちょっともったいない。
あやしさで嫌うのはなぜか? それは「万が一騙されたら嫌だから」ではないでしょうか。
ですから、今日は
スピリチュアルを、騙されずに学ぶためにはどうすればいいか?
という問題について考えてみたいと思います。
スピリチュアルとはこの宇宙の世界観
スピリチュアルがなにか? と考える時、それは「ある種の世界観」だと考えてください。そして、その世界観はほぼできあがっています。
ですから、新しい世界観などは出てこないと思っていてOKです。
もちろんある問題に対する新しい方法論や、新しいアプローチはあるかもしれません。でも、それらはスピリチュアルの世界観の外にはないのです。
色々な人が「これは新しいスピリチュアルの方法論です」とか「これは核心的な(もしくは革新的な)スピリチュアルです」などと言いますが、それは、見方を変えたり、言い方を変えたり、もしくは「分かりやすく説明をした」だけのものにすぎません。
「これは画期的な新しいスピリチュアル」と言っているものに出会っても、それは『その人がスピリチュアルの世界観を個人的にいいかんじに切り取ったもの』にすぎません。
「スピリチュアルとは、ある種の世界観だと知る」だけでも、騙される確率を格段に減らすことができるのです。
「新しいスピリチュアル」と言っているものは全て、「ぼくのかんがえたさいきょうのスピリチュアル」を話しているだけなのです。
もちろん、それに価値を感じて、本を買ったり、イベントに行くなどをしても全然構いません。目を開くような出来事があるかもしれません。
それはシンクロニシティに導かれてあなたのところに来た、大切な情報かもしれません。
でもそこには「本当に真新しい何か」はないことを知っておいてください。
スピリチュアルとは霊的成長の道
スピリチュアルに生きるとは、霊的成長の道です。
「神様はいるの?」「宇宙とは? ソースとは?」「引き寄せたいものがある」「お金の悩みがある」「好きな人がいる」「私の生まれた意味は?」という全ての疑問に対して、スピリチュアルはその世界観で答えることができます。
その全ての答えの先にあるのが「この世界は『私』のためものである」という意識(設定、もしくは真実)です。
神様と言われる大いなる存在はいる。『私』は大いなる存在から掬い取った一滴である。『私』に生まれた意味はある。『私』はこの世であらゆることを経験するために来た。
おおざっぱに言って、これがスピリチュアルの世界観なのです。
ここで知っておきたいのは、『私』は人の数の分だけあるということです。
地球上には人類が今35億人ほどいるそうですが、その数だけ世界があると考えて差し支えありません。
そのすべてが、「今ここにある自分」からの霊的成長の学び(あるいは遊び)の為に地球にやってきた(と考える)のです。
端的に言うと、『私』(という魂)に優劣はないということです。
スピリチュアルを勉強していると「より進んだ魂」や「高次のなんちゃら」などが出てくることがありますが、それは段階のことであり、優劣や高低のことではありません。
一年生と六年生は勉強していることが違うけれど、勉強内容の価値に優劣がないのと同じことです。
一年生よりも六年生のほうが、人間性が優れていると決まっているわけではないのと同じことです。
あなたがそうしたいのならば、六年生から勉強を教わってもいい。
でもその六年生はただ六年生であるというだけかもしれません。
それなのにスピリチュアルの世界では、六年生(のよう)である(衝撃的な体験をした、超常的な能力を持つ、素晴らしいテクニックを編み出した)だけで、人間性までもが素晴らしいと思われることが多いようです。
でも、違います。
『私』の世界では『私』以上に大切のものはありません。誰のどんな言葉よりも、『私』の感覚や『私』の背景のほうが大切なのです。
それは、尊敬をすることや、敬意を払うこととは別の話です。
わたし(やあなた)は誰を尊敬してもいいし、誰に心酔してもいい。
でもいつでも、その人よりも『私』が大切なのです。
わたしは、自分に対して「あなたよりも偉いんだぞ!」という態度をとる人は信用しません。
だって、わたしにとって、わたしよりも大切な人はいないわけですからね。
スピリチュアルに詳しいですっていうなら、それくらいは覚えておいてよね? なんてね
タイミングはベストに訪れる?
スピリチュアル(の世界観)に「全てはベストに起こっている」という考え方があります。
この考え方自体は有益であり、なにも悪いことはありません。
ですが、これを曲解して
あなたが〇〇に出会ったのは偶然ではありません。運命なのです
などと煽ってくるものがあります。
もちろんそれは、あなたにとって運命なのかもしれません。ですがあなたを騙そうとしている人が適当に書いたコピーに、心を揺らされているだけかもしれません。
この違いは迷うことなく簡単に見分けることができます。
ポイントは「タイミングはベストに訪れる」というところです。
タイミングは、金銭的にも、日時的にも、気分的にも、全てがベストの時に訪れると思っておけばいいのです。
わたしは、興味のある情報が入ってきた時、条件を見る前に先にラインを引いてしまいます。
「情報」に出会う前からラインを引くことさえあります。(もし○○があるとしたら、いくらくらいまでかな~、など)
例えば気になるイベントがあったとして、行ってみたいけどいくらなんだろう…、どこでやるんだろう…という時は、「一万円以内で、片道1時間以内、土曜日にやるなら行く」などと先に決めてしまうのです。
そして条件をクリアできなければ見送り、条件にぴたりとハマれば、行くことを決めます。その上でもう一度自分の気分をチェックして、最終判断をします。
この段階を踏めば、むやみに騙されることはなくなります。
ただし、自分で自分をだまそうとすることもある(一万円って決めたけど、本当は10万円まで出したっていいと思ってた!など)ので、それには注意が必要です。
いずれにしても自分にとって「すべてがベストに訪れる」なら、例えば借金をしたり、怖いと感じるほどのお金を投資したり、家族に内緒にしなければならないと感じることはないはずです。だって、どう考えたってベストじゃないですよね?
その情報にアクセスするのに100万円必要なら、そしてその人にとってその情報が霊的成長のために必要ならば、きっとその時に「気持ちよく払える100万円」が神によって用意されるはずです。
スピリチュアルは世界観、自分が一番大切
「スピリチュアルは『世界観』である」
「スピリチュアルの世界では『私』が一番大切で、『私』よりも高みにあるものなどない」
この二つを知るだけで、「スピリチュアル詐欺」に合う確率はかなり減らすことができます。
また、「全てはベストのタイミング」は曲解しやすく、便利に使われていることが多いフレーズなので取り上げました。
ナイカンナでは、人生を楽に楽しく、そして価値あるものにするために知っておいた方がよさそうなことをこれからも発信していきます。
その中にはスピリチュアルの内容も多分に含まれますが、どうか、軽率に興味を持って読んでみてほしいのです。
ナイカンナのオススメ! 自分でできる! 自己啓発的にもスピリチュアル的にも、手放しを推しています!
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