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日本人のスピリチュアル

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スピリチュアルは現実世界とかけ離れた世界だと考えていませんか? ですが、日本人にとってスピリチュアルは既に日常に溶け込んでいるものだと言われたら、どう思われますか?

実はスピリチュアル界では、日本人は精神性が高くスピリチュアル的な人が多いと言われています。本当のところ、スピリチュアルな出来事は身近な日常生活の中の至るところに潜んでいます。私たちは知らないうちにスピリチュアル的な出来事に接しているのです。

今回はこの日本人のスピリチュアルについて考えてみたいと思います。

目次

日本人の日常に潜むスピリチュアル的なもの

私たちの日常に潜むスピリチュアル的なもの。実にたくさんのことが例として挙げられますが、今回はその一部を見てみましょう。

おむすび

身近なところでおむすびはどうでしょうか。今ではおにぎりと呼ばれることも多いですが、「おにぎり」という呼び方は江戸時代からであり、「おむすび」はそれ以前から呼ばれていました。
おむすびの由来は、造化三神(ゾウカサンシン)と呼ばれるアメノミナカヌシ・タカミムスビ・カミムスビの三神に由来して三角になったとする説と、日本人は昔から山に対して神が宿っていると崇めており米を三角の山型にしたものを食すことで神の力を授かると考え、握り飯を三角に握って作るようになったという説があります。

「かもめ食堂」という映画では、食堂のメインメニューとしておにぎりが置かれていましたが、心を込めてむすぶおむすび(おにぎり)には、茶碗に盛られたご飯とは違う一種独特な郷愁のようなたたずまいがあります。

おむすびを作り、食べることは、私たちの生活の中に潜む神事のひとつであるといえるかもしれません。

お米には7人の神様がいる

「米」という漢字は八十八と書きますが、コメ作りには88の作業を要し88回お百姓さんが手をかけ愛情込めて大切に育てたものと言う意味が込められています。また米は古来から神様への供物として用いられてきたこともあり、米には神が宿ると伝えられています。
子供の頃に親からそう伝えられた人も多いのではないでしょうか。

ちなみに7人の神様とは七福神説が有名ですが、他の説として、太陽・土・風・水・雲・虫に加え、米作りをする人で7人と数える説もあるようです。

お地蔵さん

石でつくられた、道端のお地蔵さんに自然と手を合わせたくなるのも日本人ならではだと思います。
道の片隅に鎮座されているお地蔵さんとは、仏教の信仰対象で人々の苦悩を慈悲の心で包み救ってくれると言われています。
お地蔵さんは安産祈願の「子安地蔵」・厄災を身代わりになって引き受けてくれる「身代わり地蔵」・道の辻を守る「道祖神」としても知られています。他にも水子供養や不幸な事故等により亡くなってしまった子供の魂を慰める役割も担っている、徳の高い仏様なのです。

お地蔵さんはそこかしこにおられ、私たちを見守ってくれています。また、お地蔵さんではない、神道や土着の信仰由来の道祖神も街の中にいらっしゃいます。それと同じように、日本人の心の中にも「どこにでも神様や仏様がいる」という感覚が自然と息づいています。

太陽や山、滝、巨岩信仰など

日本人は古来より自然に対して神性を感じる特性があり、海や太陽・滝・巨岩・巨木などに神が宿るとして崇めてきました。

「お天道様は見ている」と言われるのもこのような歴史背景からきています。悪事を働いて、誰にも見られていないようでも太陽(神様)は見ていると言って悪い行いを戒めていました。

お地蔵さんのところでも述べましたが「神様や仏様がお社の中だけではなく、いつでもどこにでも」いるという感覚は、日本人ならではのもののようです。

お互い様の精神

喧嘩をしたら「お互いさま」で喧嘩両成敗になりますが、喧嘩とは相手がいなければできません。他にも相手が困っていたら「困った時はお互いさま」と言って助け合います。


また日本人は良いこともお互いさまと考える性質があります。良いことも悪いことも相手があっての「お互いさま」なのです。
悪いことは分け合い、喜びは2倍になる「お互いさまの精神」は打算で貸し借りすることではなく、善意から助け合う「助け合いの精神」なのです。

暦の行事を大切にする

暦の行事にもスピリチュアルは潜んでいます。一部取り上げますと、長寿を願って正月にいただくお屠蘇の「屠」は邪気払いの意味があり、「蘇」は魂を覚醒させ蘇らせるという意味があります。
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他にもひな祭りや端午の節句は子供の成長を願う行事ですが、邪気や厄払いの意味もあります。お盆のキュウリの馬とナスの牛にはご先祖様や亡くなった家族が返ってくる際には足の速い馬で帰ってきてもらい、お盆が終わってあの世に帰る際には足の遅い牛でゆっくり景色でも眺めながら帰ってもらうという意味があり、ご先祖様や亡くなった家族をねぎらう気持ちからきています。

こういった暦の上での行事、習慣を大切にされている方も多いと思いますが、例えばこれが神道の行事なのか仏教の行事なのか…と考えることは少ないと思います。感覚としてこれらは「日本で古来から大切にされてきた行事である」というのが近いと思います。

これらの行事を行う時、私たちは、願いや祈りを自然と胸に抱いています。
七夕の短冊に願い事を書く時のわくわくとしてちょっと凛とした気持ち。
神社でも教会でも、誰かが信仰を持って大切にしているものを尊重するあの白い気持ち。
美しい自然を前にして、自然と神がいると感じられる感性。
あの清らかな気持ちを自然と持てるというところが、日本人がスピリチュアル的である、ということの一端なのだと思います。

スピリチュアル的な生き方とは、目に見えないものを大切にして生きること

こうしてみると、日本人は、日常の中で自然と目に見えないものに敬意を払って生活をしているということが見えてきたと思います。
例えば、お地蔵さんにも、道祖神にも分け隔てなく自然と手を合わせる行為であったり、お天道様に恥じない行いを自然と意識しながら生きていくことであったり、ものを大切にする・粗末にしないという生き方であったり、困っている人を助けることであったり。
これらは昔から親から子へと伝わり、重んじられてきました。


スピリチュアルって結局なに? と構えなくても、心を大切にして生きることは、すでに、かなりスピリチュアル的だと言えると思うのです。

まとめ

スピリチュアルは特別な力がある人にだけ関係する事柄ではなく、古来より日本人が重んじてきた精神性や風習の中に自然と溶け込んでいいるのです。

スピリチュアルとは突き詰めていくと日常に根差したものであり、日本に生きて自然にお地蔵さまに手を合わせるあなたは、既に十分スピリチュアル的だと言えるでしょう。

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