スピリチュアルは2000年代のブームから、今では一般に根付きました。でも「スピリチュアル」って言葉はまだふわふわしているかんじで、一般的には「引き寄せはとかの話でしょ?」「パワースポットとかでしょ?」の、ような認識が多いと思います。
もったいない。もったいないのです。この記事を読んでいる人、またこのサイトを読んでくれている人の中には
スピリチュアルってなんだろ?
興味はあるけどまだふんわりとしか分からない
興味はあるけど、なんか騙されたりとかは嫌だし、
情報膨大でとっかかりがないし、とっかかり探すのはめんどい
という人も多いと思います。
なので、そんな人のために今回の記事を書きました。
※記事は現時点のわたしの理解になります。
(理解が深まったり、誤解があった場合には適宜加筆、修正していきます。)
ナイカンナ的スピリチュアルの捉え方
ナイカンナでは、
『スピリチュアルとは、その世界観を通して自分が生きている世界を見直してみる、定義しなおしてみることで、より幸せになるために使うもの』
だと考えています。
そしてスピリチュアルの使い方を一言で言えば
『世界の全てはあなたのためにあり、あなたが世界を創造する。宇宙はそれを支援してい
る』
という考え方で世界と自分を定義しなおしていくことです。
ただ、これだけではなにがなにやら抽象的すぎる……、というかんじだと思います。
そんなわけで今回は『あなたが世界を創造する』という世界観を支えるための、スピリチュアルの壮大な世界観へとご案内いたします。
なるべく簡潔に、さっくり大枠が分かるようなかんじで進めたいと思います。
まずは『自分に照らし合わせず、そんな設定なんだな』というかんじで読み物として読んでください。
(※とくに今まで辛い思いをされてきた方は、自分に照らし合わせながら読むと辛い気持ちがでてきてしまうかもしれません。)
(※わたしは特定の宗教や宗派を信仰しているわけではありませんが、神様はいると思っています。
神社仏閣、教会やムスク等の全て、お地蔵様や美しい自然、自然現象、お米、新鮮な食物、人の胸の内などのすべてに八百万の神がいるのだろうと思っている、いわゆる普通の日本的スピリチュアルな感覚を持っています)
スピリチュアルによる創世記
スピリチュアルから見た世界…、その世界はどのようにできたのか?
せっかくですので、ちょっと物語風にいきたい思います。
(※あくまでも説の一つです)
初め、神(宇宙)はひとつだった。
「全部」が「ひとつ」で完璧だった。時間も空間も全てがひとつで、ゆるぎなく、そこには純粋なる愛だけがあった。
あるとき神(宇宙)は「わたし」を知りたい。と考えた。
「愛」である「わたし」を知りたい、と考えた。愛とはなにかを知りたい。
どうすれば「知ることができる」だろう?「わたし」を知るためには「あなた」が必要だ。そして「わたし」を「経験」するためには時間も必要だ。
宇宙は分裂した。無数に分裂して、「あなた」とそれを経験するための時間・空間、そのすべてを作った。
突然でしたが、以上、ビッグバンの物語でした。
ビックバンが起きて宇宙ができた、という話は聞いた事があると思います。
そしてなぜビックバンが起きたか? について、スピリチュアルではこのように考えているということです。
そして、この「設定」から導かれるのが、
- 「全ては神(宇宙)のかけらである」
- 「全ては愛である」
- 「全てはつながっている。すべてはひとつである」
- 「神はいつでも私たちの味方である」
といったスピリチュアルの言葉たちです。これらの言葉は少しでもスピリチュアルに興味があったならば聞いた事があるのではないでしょうか。
これらは、この設定「経験のためにすべてが分かれた」を飲み込むことで説明することができます。
全ては神(宇宙)のかけらである
全てはビックバンにより、生まれた。宇宙は全てを知るために自分を分割し、そのひとつひとつを作った。だから、あなたが手に持つスマホも、道に生える木々、草花も、そしてわたしもあなたも、あの聖人も大悪人も、とにかくすべてのすべてが神のかけらから作られたということになります。
全ては愛である
私たちは神から作られた。
そして、
神とは純粋な愛である = 全ては愛から作られている。
ということになるでしょうか。
全てはつながっている。すべてはひとつである
全て同じものでできていて、同じものから作られていて、そのかけらである私たちは経験することを喜びとしている。小さく分かれて一人ひとりになっても神は全てを見捨てずにいつでも隣にいる。私たちは全体で「自分が愛であることを知る」という大きな目標へ向かっている。
わたしたちは大きな目標のために生まれてきた。自分の喜びや悲しみは全て世界のためになる。だから本当は全てつながっているという考え方です。
心理学でいう集合意識の答えみたいなかんじで扱われることが多いです。
神はいつでも私たちの味方である
神はわたしたちを通して全てを経験しています。わたしたちのすべての決断、それによる行動、結果によって神は「自分を知る」という目的を果たしています。
ここで抑えておきたいのは、
「神は自分が愛であることを知っている」が、「知っていることと経験することは違うもの」ということも全能であるからして分かっているということです。
そして経験のために自分を分割してこの世界(地球だけでなく宇宙にあまねく全てから時間などに至るまでの全て)を作った、ということです。
神は本当は全てが愛ということを知っていて、そして神が求めているのは「自分が愛であることを経験する」ということ。
だから私たちが本来は愛であることを思い出し、その経験を選び取ることを望んでいます。
一方で、自然な経験を通してしか自分を知ることはできないため、私たちには自由意思が保障されている。
だから神の意に沿わないことをすることもできる。
でもなにをしても神は私たちの味方で、いつでもそばにいて、力を貸して、愛に戻る経験ができるように力を貸したいと思っている……ということみたいです。
経験のための光と影 経験のための対比
なぜ「宇宙が生まれたのか?」そして、「すべてが神のかけらであり、愛である」ということを飲み込めない人もいると思います。わたしも飲み込んでいるわけではないのですが、とりあえず理解はしています。
神は……、経験を望み、「経験」のために容赦がなかったのです!(笑)
なぜなら「愛」を知るためには「恐れ」が必要で、「光」を知るためには「影」が必要……。経験のために陰陽が生まれ、対立するすべてのものが生まれました。
生まれてしまったのです……!
経験のために無数に分かれた時、全体では一つの愛である私たちの存在の間には空間ができて、そこに愛とは反する性質「闇」「影」「不安」「悲しみ」「憎しみ」なども生まれたのです。
ファンタジーの設定みたいですよね。楽しくついてきてください。
これらは全て「愛を経験」するために生まれたもので、いわば必要にかられて生まれたものなので、全て幻想ということです。なぜならすべての存在の原料は愛だからです。
それ以外はどんなにリアルに見えても全てが幻想なのです。と、スピリチュアルでは考えます。
(この考え方を初めて知った時、「神……、ちょっとやりすぎ……?」と思いました。だって、辛いことって辛いじゃないですか。)
この陰陽、対立、対極は世界の見え方を作っています。
光と闇、生と死、明と暗、喜びと悲しみ、左右、高低、温冷、白と黒。数えてみると色々なものに対極が存在していることが分かると思います。このバランスが様々に偏っている時、どこかに辛いことが生まれるイメージです。
おそらく時空と世界の全てを俯瞰でみると全てが美しく調和しているし、たとえばこっちに光がほど80あったら、あっちにも闇が80ほどあるみたいなかんじで、すべてのバランスが取れているのだと思います。
でも、それを拡大して世界を切り取ると、どこかには、闇が80ほどの世界があるということになります。そこは安らぎや調和、愛よりも、恐れ、憎しみ、悲しみ、無感動などが大勢を占めている辛い世界ということになります。
神が分かれてできてる=スピリチュアルの世界観
今回はおおきな枠組み「世界」のスピリチュアル的世界観を書いてみました。
おおざっぱには、神が分かれてできた全てが、世界であり、あなたであり、わたしである。
これがスピリチュアルの世界観の大元だと理解しています。
引き寄せの法則や数多あるスピリチュアルのメソッドも、この世界観が分かっていると理解が楽になります。
さて、今回の話は『信じる信じない』の話ではありません。ナイカンナでは徹底的に「自分の幸せ」について役に立つと思われる情報を発信していきたいと考えています。
スピリチュアルは役に立ちます。一番の恩恵はちょっと違う視点へ自分を連れて行ってくれること。
次回はこの世界観が一体どのように役立つのかについて書いてみたいと思います。
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